この記事では自分が人生で一番つらかった病、「漏斗胸」とその手術についてお話します。
手術は計3回、「ラビッチ法」と「ナス法」の二つの手術方法を経験しました。
漏斗胸で二つの手術を受けた人はめずらしいのではないでしょうか。
漏斗胸に悩んでいる方は参考になるかもしれません。
漏斗胸とは・・・
漏斗胸とは簡単に言うと、胸の骨が体の内側に陥没している病気です。
陥没度合いは軽度から重度まで、また、胸の陥没の仕方も人それぞれ異なります。
自分の場合は中度くらいだと思います。
自分の症状は常に胸の圧迫感があったことです。
また、見た目で言うと、心臓の鼓動が胸の表面に常にバクバク出ていて、気になることでした。
もちろん胸の骨の形も他の人と比べて異常なので、精神的にコンプレックスを常に感じていました。
他人からすると服を着ていれば見えない部分なので、普通の人と変わらないように見えるのと、内臓の痛みも理解してもらえないということが、苦しいところでした。
次に漏斗胸の手術を受けた後の感想を幼少時代から大人になった後まで時系列を辿ってお話します。
小学生時代
小学生の時、自分の胸が凹んでいることに気づきました。
当時は「なんでこんな体に生まれたんだろう・・・」と悲観していました。
毎日お風呂に入る時に自分の体を見ます。
そのたびに「なんで・・・」とその繰り返しでした。
それでも、まだ小学生だったので、あまり記憶が無いのですが、当時は深く悩んではいなかったと思います。
当時は習い事や、友達と遊んだり、ゲームをしているのに忙しかったからです。
それでも、毎日夜風呂に入るときや寝る前は自分の病気について思い起こしては、悲しくなりました。
そして、その当時から、自分の頭の中にネガティブ思考が植え付けられていきました。
最初の手術
ラビッチ法で手術。
最初に手術を受けた時は小学生高学年の時でした。
現在主流の「ナス法」と言われる手術方法ではない方法で手術を受けました。
それがラビッチ法です。
漏斗胸手術の歴史(ナス法以前)
(引用元)香川大学医学部附属病院 形成外科・美容外科
http://www.med.kagawa-u.ac.jp/~keisei/routo/basic/history/before.php
ラビッチ法とは、胸の中心をメスで開いて、骨の曲がっている部分を切り取り、そしてまた骨をくっつけるというものです。
切り取った部分は無くなってしまうので、その分だけ骨が普通の人より短くなります。
さらに陥没が治るというよりかは、胸がまな板のように平らになるだけです。
普通の人は胸骨が楕円形に丸くなっているのですが、この手術ではそうなりません。
よって漏斗胸を完全に治すことはできませんでした。
体が痛い、胸の圧迫感がひどい。
次に、ラビッチ法の手術後のお話です。
手術後は胸の圧迫感がすごかったです。
そして体がうまく動かない上に、体内に装着したバーが痛い。
そして胸の形はさきほど触れたとおり平、というより少しまだ凹んでいてあまりよくありませんでした。
24時間、体の痛み、圧迫感がありました。
そしてまた更なるネガティブ思考が植え付けられました。
「手術したのに、なんでだろう・・・」と。
今思うと、むしろ手術する前のほうが、良かったかもしれません。
しかしこれは、当時まだナス法が十分に広まっていなかったので、仕方がないことでした。
このときの自分の状況のですが、寝る時はいつも背中の左側にタオルのようなものを敷いて寝ていました。
左胸を上にあげて寝ないと、心臓の圧迫で胸が苦しかったからです。
体の中で心臓を重力によって右側に追いやることによって圧迫を避けていました。
胸の心臓側の胸骨や肋軟骨は手術をしても陥没していたからです。
(現在も陥没しています。)
大人になって再度漏斗胸の手術をするまで、15年ほど、この寝方(体を斜めに持ち上げて寝る)を続けていました。
うまく眠れないことがずっと続きました。
呼吸によって肺が心臓を胸壁側に押し出し胸が苦しくなるので、意図的に呼吸を浅くして寝るのが日課でした。
このつらさ。だれにも分かってもえませんでした。
ナス法手術1回目
手術前
以下は漏斗胸の「ナス法」手術を受ける前に撮った写真です。
今思うと小学生にラビッチ法で手術した後、結局胸は体の成長と共に凹んできていたと思います。
ナス法は胸の中にからチタンバーを入れて中から胸骨を上に持ち上げて陥没を直す手術です。
次に自分がこの手術を受けることになった経緯をお話しします。
社会人になってから、永久に入れておく予定だったチタンプレートが体内で折れていることに気づきました。
当時工場で仕事中でしたが、しばしば胸が痛くなり、そのために病院に行ったことがきっかけでした。
今までも痛みで1年に一回ほど病院に行っていましたが、まさか折れているとは自分も医師も気づきませんでした。
たまたま普段通っていない新潟大学病院にも見てもらいに行ったところ、医師が折れているのを発見しました。
手術決意
その後、胸の痛みから解放されたいという思いで、ネットでこの体内のチタンプレートを取り除いてくれる医師を探しました。
そこで愛媛の病院の医師にメールすると一発OKで手術できると返事をもらいました。
他の病院では取り除くことは難しい上に危険と言われていただけに、OKメールが来て安堵しました。
その病院は専門的に漏斗胸手術をしており、手術経験も豊富でした。
診察の際、バーを取り除くのと同時に、漏斗胸の再手術をナス法ですることを勧められました。
胸の圧迫感を常に感じていたので、長年の悩みが解消できると思い、即手術する決意をしました。
手術後
手術室に入るとき少し緊張するかな?と思いましたが、案外緊張しませんでした。
ただ、全身麻酔を入れる瞬間すこし痛いです。
手術後、目が覚めるとベッドの上で、呼吸器をつけて息が苦しい。
あまり息が吸えなくて、きつかったです。
新しい体に、内臓がまだついていけていない感じでした。
そして、手術後24時間動けなかったので、しんどかったです。
その間はただ息をするだけでした。
24時間中のある時、抗生剤に対するアレルギーがなにかが発生し、頭が破裂しそうになりました。この時は、生まれて初めて死ぬかと思いました。(すぐ点滴を止めてもらいました。)
その後、二回ぐらい嘔吐。
嘔吐したら体が全身が苦しい状況が軽減して、なんとかそのままベッドから降りて検査室にいくことに成功。
体は管だらけ。意識朦朧の中、CTを受けました。
この間約2日間。手術後の一番しんどい期間でした。
手術後の2週間
その後は、体調も徐々に良くなりました。
しかし、手術後は体が非常に重く、歩くのが大変でした。おまけにいろいろな管が体にずっとついたままで移動することになっていたので大変でした。
しかし、病院生活中はずっと好きなことができたので良かったです。
当時は情報系の資格の勉強をしていました。
帰宅と一か月後の検診
実家に帰宅しましたが、ずっとまともに寝れませんでした。
体が思うように動かず、入眠するのに一苦労でした。
1か月後、検診のため再度飛行機で愛媛へ。
特に異常なし。
ただし、相変わらず、歩くのが大変で少し小走りしただけで、100m走を全力で走ったくらいの息切れがしました。
ナス法手術1回目の経過はこんな感じでした。
ナス法手術二回目とそれまで
二回目の手術は胸の中央にバーを二本挿入してあるので、それを抜く手術です。
二回目の手術までには3年間ありました。
3年間のうちの初めの約2年間は体力がかなり落ちていて、自分の場合、走ることはほぼできませんでした。
ちょうど3年間経つと体も慣れ、肺活量ももどってきました。
また、1回目の手術をしてから胸の圧迫はかなり軽減され、寝る時もよく眠れるようになっていました。
そして二回目のバーを抜く手術のため、再度愛媛へ。
愛媛へ再び
二回目の手術は一度目の手術を既に経験していたのと、バーを抜いても体にはほとんど変化がないので、気楽でした。また、抜くだけなので、手術時間も少なく、体へのダメージもほぼありません。
二回目の手術後は普段と変わらず、体力も落ちずでした。
愛媛の病院にはこれで2回お世話になりましたが、すごくいい病院だと思いました。
現在
バーを取った後の体はほとんど変わりませんでした。
ただし、胸の下部の陥没部で心臓の鼓動が表面上に浮き出るのが少し気になるのと、少しバーを入れていたときより胸が凹んだ気がします。
この下部の陥没部の件で別の医師に少し相談したのですが、あまり良い反応ではなかったので、メスを入れてもうこれ以上何かをする試みは諦めました。
結論
手術した結果は以下の通りです。
・ナス法で手術してよかった。
・ナス法で手術すれば全てうまくいくわけではない。
(もともとの胸の形によって、結果は人それぞれ。)
・呼吸が楽になった。
・胸の圧迫が軽減された。
自分は長年漏斗胸と戦ってきましたが、まだ治せない部分はあります。
漏斗胸について悩んでいる方は、香川大学のホームページを見ると、漏斗胸の歴史や、最新の技術を用いた手術について詳しく書いてあり勉強になります。
自分はこれからもまだ漏斗胸との戦いが残っていますが、あとは、自分なりのやり方で治していくつもりです。(胸郭を広げて、漏斗胸の陥没を目立たなくする試みです。やり方が載っているサイトは以下)
【胸郭を広げる方法】
胸郭を広げ胸囲100cmはおろか110cmになるための特殊な筋トレ方法を解説します。分厚い胸板と100cmを越えるサイズの胸囲は男性にとって憧れですが、筋トレで大胸筋を鍛える以前に、その筋肉が乗る土台作りとして「胸郭を広げるトレーニング」が重要なのをご存じでしょうか?