自分は、生まれつきコミュ障なのか、病気のせいでコミュ障になったのかは分かりませんが、昔はスーパー根暗な学生でした。
そんな自分ですが、高校生の時に初めて女性と付き合いました。
まず、そんな自分のコミュ障時代について少しお話します。
ゲーム中毒
はじまりは小学生低学年時にSONYのPlayStation(プレイステーション:以下プレステ1)が家にやってきたことでした。それから高校3年生までずっとゲームをやり続けていました。
特に中高生時代はのめり込みが激しかったので、たびたび、深夜までゲームをしていた記憶があります。
たびたび、ゲームを封印され、時には自分も小屋に閉じ込めらるほどでした。
熱中するゲームは300時間以上は普通にしていました。
そして、高校2年生の時がピークだったのですが、とある廃人続出のゲームを購入し、当時はこのゲームに熱中して、生活が崩壊するレベルでハマってしまいました。
おまけにカードゲームの遊戯王にもドハマりして、大変でした。
やる気のない学生
高校1年生の時の話に移ります。
高校受験を終え、志望校にせっかく合格したのに、全く学校生活に対してやる気がおきませんでした。
最初の1,2か月は真面目に勉強していましたが、スーパーコミュ障だったので、クラスの人とどう話していいか分からずだんだん学校生活に対してモチベーションが完全に無くなっていました。
また、部活もとりあえず入らなければいけないかなと思い、体力が無く運動は苦手だったので、ピアノを習っていた経験を考慮して吹奏楽部に入りました。
しかし、ここでもコミュ障が原因でほとんどだれとも普通の会話ができず、最終的には全く部活にやる気が無くなり、1年経たないうちに辞めました。
そして、受験期までは家へ帰ればいつも夜中までゲーム三昧でした。
ゲームを夜中までした翌日は、頭がボッーとしていて、全く授業に集中できず、当時宿題をほとんど出さなかったので、ある時は教師に机を蹴られたこともあります。
夏休みの部活中
部活をまだしていた1年生の頃の話です。
夏休みの部活中は、自分が部活にやる気がなかったせいなのか原因は分かりませんでしたが、普段の練習グループから左遷されていました。
そして、その時に出会った人と部活を止めた後付き合いました。
当時、部活中は自分にとってはただの先輩でした。好きという感情はありませんでした。
虚無感と寂しさ
その後、夏休みが終わり、再び、元のグループに戻った後、やる気のない部活生活が続きます。
そして、最終的に部活を止めました。
その後は、もともと辞めたかったのに、なぜか辞めたら虚無感や寂しさが出てきました。
夏休み中にその先輩がやさしくしてくれたのが、少し心に残っていたのかもしれません。
自分は、もともと小学生から高校生まで一応話す友達はその時々でいましたが、あまり深い人間関係になったり、心を開けた人はあまりいませんでした。
しかし、そんなスーパーコミュ症でゲーム中毒な自分でしたが、当時その先輩は普通に扱ってくれました。
これは、直接聞いたわけではないのですが、自分が部活にあまりにやる気がなかったので、ある部員の人から、自分についてアンチコメントが飛んでいたらしいです。(あくまで推測です。)
それをその先輩ともう一人の女子がかばってくれたらしい。という話を聞いた覚えがありました。
こんな自分でも守ってくれる人がいるんだと感じた時でした。
高校時代の記憶はほとんど曖昧ですが、なぜかこのことは記憶しています。
フラれるまで
部活を止めた後の話です。
自分は寂しさからいつの間にかその先輩にメールしていました。
先輩は部活をやめた自分にメールを返してくれました。
そして、いろいろやりとりした後に付き合えることに。
しかし、自分はたまにデートに行くくらいで、後は一緒に学校から帰るくらいしか先輩に対してできませんでした。
その時は何もできなくて申し訳なかったと今は思っています。
高校三年生の夏休み前に破綻
高校三年生の夏休み前に先に卒業していて県外に行っていた先輩に唐突にメールでフラれました。
その後メールを返信をしても一切受け付けない様子だったので、自分は大ショックを受けました。
理由は不明ですが、上述してきたとおりの自分のだらしなさが原因だと思います。
そして、それがきっかけで受験勉強を猛烈にがんばることになったのです。
ちょうど受験シーズン
フラれたのがちょうど受験シーズンでした。
当時、自分は全く勉強していなかったので当然学年最下位レベルの成績でした。
しかし、大学進学をして先輩を見返してやりたかったという気持ちが湧きあがっていました。
そして、今まで何千時間かけてきたゲームや漫画、カードゲームを全て売ることに決めました。なんの躊躇もなかったです。
当時愛読していた「ベルセルク」にもおさらばしました。
受験勉強期間3ヵ月で志望校に合格
受験前は留年ギリギリで学校に通っており、仮病で何回も保健室の先生にお世話になっていましたが、フラれて目が覚めてよりは、毎日朝から晩まで、本気で勉強しました!
当時、自分が受けようとしていた試験は毎年10月末か11月初旬にある試験だったので、勉強開始からほぼ3ヵ月程度しかありませんでした。
そして、受験まで時間が足りないと思った自分は全時間を受験科目に投入しないと落ちると思い授業中はほぼ内職をしていました。
内職をしていたおかげで、平日はほぼ12時間以上は自分の勉強に費やすことができました。
休日の勉強はポモドーロテクニックを使って、25分勉強したら5分休憩を朝から夜まで一日も休まずこなしました。
学校では、時には内職がバレて学校の先生に呼び出しを喰らうことも。
志望校合格
そしてついに、偏差値は当時50くらいの大学だったのであまり高くないですが、志望校に合格ができました。
ちなみに当時の受験対策方法は「教科書や資料集をくまなく全て覚える、ひたすら赤本を10年分解く」というものでした。
赤本はAmazonで中古の100円の過去の赤本を爆買いしていました。
その後
その後の自分は、大学入学後、フラれたショックがすごかったので、ゲームは絶対にしないと自分に誓いました。
たまたま大学生の時に新作の興味のあるゲームが発売したのですが、PS3とその新作を買った後、1週間で売ることになりました。
その時はもうゲームをしても全くおもしろくなくなっていました。
そして、大学入学から10年ほど経ち、いろいろな人とコミュニケーションをしていく中で、コミュ障をほぼ治すことができました。
今思うと、フラれたことが自分の人生を変えたきっかけでした。
今でも高校時代のことはたまに思い出しますが、そのたびに、フラれてから受験勉強を本気でやって合格した自分への自信が自分の人生で何事も本気でやればできるという自分への励みなっています。
以上です。